パンタイ・スリ・トゥージューPantai Sri Tujuhからパンタイ・チャハヤ・ブランPantai Cahaya Bulanへ直接向かう交通手段は、タクシーの他はない。
8月29日。
昨日、スリ・トゥージュー・リゾート管理事務所の親切で感じの良い女子職員に、本日11時半にタクシーに来てもらうように頼んでおき、タクシー会社に予約の電話も入れておいてもらった。このマレー人女性は親切で物分りもよかった。日本に帰る飛行機のボーディングパスも、この人に頼んで、メールに添付して送りプリントアウトしてもらった。(エアアジアは出発2週間前からウェブチェックインができる)。午前中はこの人はいない。それどころか、事務所のカウンターに誰もいないことが多いようである。だから、前日の内に頼んでおいたのである。料金も聞いておく。
もちろん、これだけではタクシーは来ない可能性が高い。当日は案の定、事務所には誰もいなかったが、奥のソファで昼寝している男が事務員のようだったので、その男を起こして、11時半近くにもう一度タクシー会社に電話してもらう。タクシーは11時40分頃に来た。その場で、事務員もいる所で、もう一度料金の確認をする。
パンタイ・スリ・トゥージューの最寄りのローカルバス停は、プンカラン・クボールになる。プンカラン・クボールまでタクシーで10分ほど。10リンギ。
プンカラン・クボールに着くと、コタバル市内に向かう27番のバスがエンジンをかけて待機していた。すぐに乗り込む。エアコンのよく効いたキレイで新しい快適なバス。
運転手に予め「Tescoまで」、と言っておく。Tescoの奥にある長距離バスターミナルで、クアラルンプール行きのバスチケットを予約購入しておくためである。プンカラン・クボールからのバス代は、市内バス停までは3.50リンギだが、10セン減額してくれた。
午後1時頃、コタバル市内に入る橋を渡った直後にTescoが見えたので、直ぐにブザーを押してバスに止まってもらい、車道の真ん中で下ろしてもらう。そこから15分か20分歩いて、長距離バスターミナル(所謂「Tescoバスターミナル」)に着く。
いろいろなバス会社のチケットカウンターが並んでいるが、いちばん物分りがよく、感じがよく、仕事の速かったCepat Expressという所で、9月3日のKL行き夜行バスチケットを買う。座席ももちろん指定。料金はどこの会社も同じのようである。44リンギ。
Transnasionalはダメだ。窓口でちょっと何か聞くだけで、いろいろな人が擦り寄って来るが、もったいつけてダラダラしていて、ベタベタくっついてくるだけで、こちらの聞いていることには答えない。公営企業なので、無能で無駄なマレー人職員をたくさん抱え込んでいるのだろう。車体もポンコツである可能性が高い。先日クアンタン行きに乗ったバスもきいきい軋んでいた。やはり、民間で出来ることは民間で、というのは正しい。
Tescoバスターミナルからが大変だった。
パンタイ・チャハヤ・ブラン(P.C.B)へ行く10番のバスも、(Azamホテル近くの)市内近郊バスステーション(「バステイ」「コタバルバスステーション」)で発着するものと思い込んでいたので、まずこのバス停を目指して歩いた。バス停にはTescoから30分ぐらいで着いた。ところが、10番の表示はどこにもない。バスステーションの事務所らしい窓口で聞くと、10番のバス停は別の場所、あっちに5分歩いた「チェトラパティ」にある、という。何度聞いても「チェトラパティ」としか聞こえなかったが、その後誰に聞いてもまったく通じなかった。
P.C.B(パンタイ・チャハヤ・ブラン)に行くバス、ということで30分ぐらい聞き歩き、迷い歩き、ようやく10番バス専用の停車場を探し当てた。10番のバスはちょうど発車寸前だった。
バスがあったから良かったが、その停車場には何の標識もない。迷い歩いている時には、商店を出している華人が一番適切な指図をしてくれた。
10番のバスはP.C.Bまで1.70リンギ。20分ほどで着く。
P.C.Bに着き、前回と同じゲストハウスに入る。一泊30リンギで5泊分前払いする。一泊だけでは30リンギは無理だろう。
独立記念日の休暇と重なり、近くのカレッジに通っている下宿女子学生たちは、帰省したり、旅行に行ったりして、いなくなってしまった。ちょっと残念である。
前回泊まった時に車に乗せてくれた女子学生は、車でナラティワトへ観光に行ったという。携帯メッセージで教えてくれた。タイ領に入るのは初めてだそうだ。ナラティワトに友達も親戚もいないという。彼女はマラッカ出身。当然、タンヨンホテルに泊まったものだと思ったが、そんな高い所には泊まらないという。昔あった「ナラティワトホテル」は今はもうない。他に安宿などはないはずである。「ある家に」という以外、どこに泊まったのか教えてくれない。プンカラン・クボールでも泊まるとか言っていた。プンカラン・クボールに宿などないはずだ。
マレー人のネットワークか、モスクを介したムスリムのネットワークで、泊めてくれる所はすぐに見つかるのだろうか。
ナラティワトでのコミュニケーションは、クランタン方言のマレー語でなんとかなったという。
タイの官憲による嫌がらせは受けなかったか、と聞いてみたが、そういうことはなかったらしい。
彼女は、タイの「深南部問題」などについては、知識も関心もまったくないようである。9月でカレッジを修了しマラッカに帰る。そうするともう行く機会がなくなるから、今のうちにタイを観光したかったということである。