昨日9月8日は、クララルンプールは珍しく朝からずっと雨で、私も変に体調が悪かった。マレーシアで腹を壊すようなことはあまりないが、朝から下痢だった。ここ2、3日「ネスカフェクラシック」を飲み過ぎていたかもしれない。コンビニで瓶入りを見つけゲストハウスの湯で入れて一日何倍も飲んでいた。もっとも、ゲストハウスの湯が悪かった可能性もある。
正午にチャイナタウンのWheelers Guest Houseをチェックアウトする。もう泊まることはないだろう。ゲストハウスをレイトチェックアウトなどするよりは気持ち良いだろうと思って向かったklia2は、あまり気持ちの良い所でもなかった。
飲食するところは色々あるが(KFCやKKスーパーもある)、のんびりできるところがない。楽ではなかった。WIFIだけは時間無制限で使えた。
エアアジアX、関空行きの飛行機が出るまで、そこで12時間ほど潰したが、ずっと下痢が続いていた。水様の下痢。
バゲッジドロップは、飛行機が出発する4時間前から。私は18キロのバックパックを持っていた。その他に5キロぐらいの手提げ袋(15リンギの安物で、すぐにチャックが壊れたがそのまま使っていた)、および2キロぐらい(超えるかもしれないがキャビンバゲッジは7キロまでなので2キロということにしておく)の20リットル入りバックパック。それらを、引きずったりトロリーに乗せたりしながら9時までウロウロしていた。
搭乗直前まで下痢が続いていたので、やむを得ず「イモジウム」を一カプセル飲んだ。これは効いたようで、飛行機に乗ってからは、下痢はすっかり影を潜めた。ただ、気持ち悪い感じが続いていた。
9日午前1時出発予定のエアアジア関空行きが実際に離陸したのは、午前1時20分だった。
大気の状態が悪かったようで、なかなか食事が出てこなかった。夜行飛行機でも、気分的には食事は出たほうが良いので予約しておいた。食事が配られたのは午前3時頃だった。
日本入国にあたっては、すべての乗客が税関に申告書を出さなければならないようになっていた。そのフォームが英語のみだった。
税関申告書のフォームにはunaccompanied articlesとかいう項目がありナンノコッチャと思ったが、商品などを別便で送ることなのだろうか。宝石とか金貨とか。
昔は列車でも「チッキで送る」というのがあったはずである。あの制度(祖母がしゃべっていたのを聞いただけだが、「チェック」のことなのだろう)は今でもあるのだろうか。
エアアジアのキャビンクルーは、オレに「外国人用」の外国人入国記録フォームまでくれた。
ところで、なぜネットでは「スチュワーデス」のことを「CA」(「キャビンアテンダント」)というのだろうか。機内放送でもそういう言葉は聞いたことがない。「キャビンクルー」というのが普通だと思う。
なお、「スチュワーデス」も欧州で使われている。以前、チェコ航空だったかエア・バルチックだったかに乗った時は、頭上のボタンの所にStewardessとはっきり書いてあった。
飛行機は、揺れ続けた。マレーシア時間午前7時25分(日本時間8時25分)頃、関西空港に着陸。
関空に降りて印象的だったのは、空港職員にまともに英語が話せない人が多いようだったこと。エアアジアのクルーとのやりとりに苦労している人がいた。
その他の職員も英語が話せない人が多いようだった。マレーシアのKLIAなら、掃除のオバサンでも英語を話すだろう。(掃除のオバサンにインド系が多いからでもあるが)。
関西空港に長居はまったく無用なので、すぐにJRに乗った。JR関西空港駅の案内所兼切符売り場(緑の窓口)に行って切符を買う。
JR関西空港駅案内窓口には、当然外国人客も来るので、職員は英語でも応対できるようになっているはずである。実際、外国人客が来てあれこれ聞いていた。
日本の鉄道は複雑で、日本人にもわからないことが多い。例えば、マレーシアのように特急なら特急で切符一つというのでなく、特急券の他に乗車券があるというのは、そういう制度のない国の人にはわかりにくいと思う。
そこで、職員の話す英語を聞いていたのだが、一応はしゃべっているのだが、まったくの日本人英語で、「反省のかけらもない」という感じだった。
Thは完全にSになっている。ThはSで発音するよりはTやDで発音したほうがまだ通じやすいと思う。本来の筋から言えばそうであろう。ドイツ語の進化の過程で落ちこぼれた辺境のゲルマン語(である英語)に、古いThの発音が残った、という歴史からもそう言えると思う。
「特急はるか」に乗ったが、はるかの車窓から見る大阪の街は実に汚かった。こんなに薄汚い町は、東南アジアにもそうないと思う。本当にうさぎ小屋のような小さな家があるのに驚く。それも田舎の陋屋とかスラムというのではなく、普通のビルの隣にあったりして、普通の人が生活しているように見えるのだ。特に大阪の町は汚かった。
日本のような、何事も分かりにくく、閉鎖的で、よそ者に不親切な国に、どんな魅力を感じて外国人旅行者が来ているのか不思議である。半年以上日本を離れていたが、「懐かしさ」のようなものや、「帰った」という喜びはまったく感じられない。
自分の家はまだあった。自分の持ち物もだいたい残っているようである。