ワッハーブ派(サウジアラビア)はナチスと同じ。

イランのシーア派イスラーム学教科書 (世界の教科書シリーズ)

私は以前、テヘランのMarvi通りにある神学校でちょこっと講習を受けたことがありますが、そこでシーア派の先輩たちが強調していたことは、イスラエルやアメリカが悪いという話ではなく、サウジアラビアこそ恐怖国家だということでした。サウジの国教であるワッハーブ派は、シーア派などは皆殺しにして良い、皆殺しにすべきだという思想を本気で信じており、国是としています。そんな国を庇護しているのがアメリカです。中東を旅行するときはシーア派だと言わないほうが良い、危ないから、ともアドバイスされた。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時

アブドゥル・ワッハーブの主要な教義のひとつがタクフィール(不信仰者の宣告)の主要な考えとなった。タクフィールの教義のもとでアブドゥル・ワッハーブと彼の追随者たちは、何であれ絶対の権威(すなわち王)の主権を侵害するような活動に携わった仲間のイスラム教徒を異端者とみなすことができた。アブドゥル・ワッハーブは、死者、聖人、天使をあがめたイスラム教徒すべてを非難した。そのような感情は、神に対し、また神にのみ示されるべき完全な服従を損なうと考えたのだ。よってワッハーブ派のイスラム教義は、聖人や死んだ愛する人に祈ることや、墓や特別なモスクへの巡礼、聖人をたたえる宗教的祭り、イスラムの預言者ムハンマドの誕生日を祝うこと、そして死者を葬る際に墓石を使用することさえ禁じた。

この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだと彼は書いている

アブドゥル・ワッハーブは服従を要求した――物理的、具体的に示される服従だ。彼は、イスラム教徒すべては1人のイスラム指導者(カリフ、もし存在するならば)に個人的に忠誠を誓う必要があると論じた。この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだ、と書いている。死に処されるべき背教者のリストには、シーア派、スーフィー派、そして他のイスラム宗派、すなわちアブドゥル・ワッハーブが決してイスラム教徒であるとは考えなかった人々が含まれていた。

ここにはワッハービズムとイスラム国を区別するものは何もない。裂け目は後に現れることになる。後の、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブの教義を制度化した”1人の支配者、1つの権威、1つのモスク”―― これら3つの柱のそれぞれがサウジ王、すなわち正統ワッハービズムにおける絶対的権威を現す、そして”言葉”を支配することだ(つまりモスクだ)。

これが裂け目――イスラム国による、スンニ派が全権を振るうこれら3つの柱の否定――、すなわち他のすべての要素についてはワッハービズムを受け入れるイスラム国を、サウジアラビアの深刻な脅威としているものだ。

まともな文明人なら、サウジアラビアもイスラム国もどちらも殲滅しなければならない悪党だと理解できるはずです。

日本にも中田考という「イスラム国」の走狗がおり、ワッハーブ派のようです。北大生だけでなく、彼のやったことも私戦予備陰謀に該当するのは明らかではないか。「イスラム国」が国境のない国なら日本にもイスラム国がすでに侵攻していると言えるから外患誘致罪に該当するとも解される。内乱予備または陰謀罪に該当してもおかしくない。それらの教唆は明らかだから、少なくとも破壊活動防止法で逮捕すべきだ。それ以前に、中田考のような恥知らずな外道は、「人道に対する罪」で国際社会の管轄も時効もない法廷に引き出されて死刑にされて当然だと思う。

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